前記事でケイシーについて
ざっくりご紹介しましたが、
今回は更に詳しく書いていきたいと思います。
エドガー・ケイシーは、
1877年3月18日にアメリカ・ケンタッキー州の
ホプキンスビルという小さな町で生まれました。
伝記によるとケイシーは幼い頃から、
人のオーラ、精霊などを見ることができ、
亡くなった霊魂と交流することも
ごく自然に出来ていたという、
非常に霊能にあふれた子供でした。
その霊や精霊を見る力は
7、8歳くらいまで持続したようですが、
少年期に入ると急速に失われていきました。
それと入れ替わるように、
彼が興味を持つようになったのが、
イエス・キリストの物語です。
ケイシーが9歳の時にたまたま地元に
巡回伝道に来た福音伝道師の語る
イエスの物語に感銘を受け、
両親にお願いして自分専用の聖書を
買ってもらい、それからというもの
片時も離さず熱心に愛読するようになりました。
13歳になるまでに分厚い聖書を
13回も通読しており、その後死の直前まで、
ケイシーは毎朝日の出と共に、
聖書を読むことを日課とし、1年に1回、
聖書を読み通す習慣を貫いたそうです。
その少年期の頃から、いつしかケイシーは、
将来は医者になって多くの病人を
治療する仕事をするか、牧師になって、
悩める人々を救いたいと願うようになりました。
そのような大志を抱いていた最中、
ケイシーの父親が事業の経営に失敗したため
家の経済状態が悪化、ケイシーは高校を1年で
中退して働きに出なければならなくなりました。
農場の手伝いや、靴屋の店員、金物屋の店員、
本屋の店員、文房具屋の店員など数年間のうちに
様々なアルバイトをしましたが、
医師や牧師になれなかったという
挫折感があったために結局、
どの仕事も長続きしませんでした。
そんな中22歳の時に後の妻である
ガードルートと出会い婚約をしたケイシーは、
この人と幸せな家庭を作りそれを自分の
生きがいにしようと一生懸命働き始めます。
早く結婚資金を貯めるために、
当時歩合制だった保険の外交員と、
文房具の行商を掛け持ちでやり始めました。
ところが23歳になった時、
失声症という原因不明の病気にかかり、
ケイシーは声を失ってしまいます。
このまま一生声は出ないと医者から宣告され、
保険の外交員も文房具の行商の仕事も
出来なくなってしまったケイシーは、
失意のうちにホプキンスビルの実家に
戻ることになりました。
声の出なくなってしまった
息子の様子を見兼ねたケイシーの父親は、
近くの写真館の裏方の仕事を見つけて来てくれます。
当時はまだ写真が世の中に出始めた頃だった為、
写真館での撮影の需要は高く、ケイシーは、
そこで写真の現像、焼き付けなどの
見習いをする事で収入を得るようになりました。
失声症の件については地元に戻ってからも、
色々な病院や治療法を試しましたが、
どれも効果なく、もう不治として
諦めかけていたちょうどその頃、
ケイシーの地元ホプキンスビルに
サーカスの一座が巡回興行にやって来ました。
これがエドガー・ケイシーの人生を
大きく変えることとなりました。
サーカスの一座の中に、ハートという
催眠術をショーとして見せる人がいました。
ハートは地元の人からケイシーの奇病の事を聞くと、
「私の催眠療法を試しませんか」と提案をしてきた。
ハートはサーカスの見世物としての
催眠術も得意でしたが、
催眠療法にも自信がありました。
好奇心もあってケイシーは
その実験を受けることにしました。
ケイシーは催眠術師の暗示に
極めてよく反応し、催眠状態にある時には
声を出すことができるようになりました。
ところが催眠から醒めるとなぜか
元に戻ってしまうのです。
日を変えて何度か繰り返すのですが、
結果は同じでした。
そうこうするうちに、
その催眠術師は別の地方へ
興行に行かなければならなくなり、
その催眠療法は中断されることと
なってしまったのです。
ところがそこで、宇宙があらかじめ
準備をしてくれていたかのように、
天は再びケイシーに道を開いてくれます。
学校を中退させられたケイシーの妹の1人が
アルバイトをしていた帽子屋の店長が、
実は通信教育で催眠療法を習っていたのです。
そしてケイシーの妹を通じて実験の様子を
興味を持って聞いていました。
そしてその実験が
打ち切られたということを聞いて、
「じゃあ私がその実験を引き継ぎましょう」と
申し出て来たのです。
彼の名はアル・レインといいました。
そして、今度はアル・レインから
ケイシーを催眠状態に導いて、
彼自身に自分の病気を診断させる
という方法を提案をしてきました。
ケイシーはそんなこと出来るだろうかと
半信半疑ながらも実験に応じます。
そしてケイシーが催眠状態に入ったところで
「あなたは自分自身の肉体を調べ、
声が出ない原因と治療法を述べます」
と暗示を与えました。
すると、数分の沈黙後いきなり、
「Yes, we have the body.」
(よろしい、我々はその人を捉えた)
と話し始めました。
催眠状態にあるケイシーはなぜかいつも
「we」という複数形を使います。
ここで私がハッとしたのが、
他のチャネリング情報でも大体主語が
「we(我々は)」で始まるということです。
例えば、かの「引き寄せの法則」で有名な
宇宙存在「エイブラハム」もそうです。
エイブラハムによると、そこには
多くの意識が集まっているが、
単独の声でその”総意”として波動で話す。
「見えない世界の意識の流れ」
というものがあり、質問を受けると
いくつもの意識のポイントが1つの
視点のようなものへと集まって、
単一の意識のように感じられる、との事です。
ケイシーのリーディングもこれと
同じ状態ではないかと私は考えています。
そしてその後ケイシーは、
「声帯の筋肉の一部が麻痺している。
暗示によってこの部位の血流を増大させ
麻痺を取れば声は出るようになる」と
自分の病状を診断し、
その指示に従ってレインが暗示を与えると、
喉の血流はみるみる増加し、
30分後には喉が腫れ上がるほどになりました。
そしてケイシー自身の
「もう良い、麻痺は取れた」
という言葉を合図に催眠が解かれ、
恐る恐る声を出してみると…
「あ〜あ〜」と1年ぶりに声が戻ったのです。
これが記念すべき最初のリーディングとなりました。
ケイシーは催眠中に自分が語ったと言われる
メモを見せられてびっくりしました。
なぜならそこには医学用語、解剖学用語が
書いてあって、高校1年中退のケイシーには
知るはずもない内容だったからです。
でも、とにかくケイシーは声が戻れば
何でも良かったので大いに喜びました。
一方、この出来事の大いなる可能性に
気づいたのは誘導を行ったレインの方で、、
「ケイシーさん、
あなたのその不思議な能力は他の人の
病気の診断にも使えるんじゃないですか?」
と言い始めたのです。
それに対してケイシーは最初、
医者でもない自分が他人の病気を
診断するなんて出来るはずがないと
レインのアイデアを否定していましたが、
自分の声を取り戻してくれたレインの頼みを
無下に断る訳にはいかず、その1週間後に
レインの胃腸の不調についての催眠実験を
行うことになりました。
すると、ケイシーの時と同様に、
彼はレインの肉体を透視し、
診断と治療法を述べることができ、
その方法を実際にレインが実行したところ、
3週間程で彼の長年の不調はすっかり
回復してしまったのです。
この結果に勇気づけられたアル・レインは
「自分とペアを組んで病気の人を
治していきましょう」と、
ケイシーに提案してきました。
一度は挫折してしまった、
あの幼き日のケイシーの夢である
「病気の人々を治したい」という願いを
叶える機会が11年経った今、
思わぬ形で現れたのです。
しかし、ケイシーは不安でした。
なぜなら、ケイシーもアル・レインも
特別医者の資格がある訳ではなく、
強いて言うならばレインの方が
通信教育でオステオパシーという整体を
勉強していたというくらいで、
そのような2人がペアを組んで病人を治すなんて、
ケイシーにはとても無謀な事に思えました。
しかし、結局アル・レインの熱意に負けて、
ケイシーはそれを引き受けることにするのです。
《次の記事へ続く・・》